大判例

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福岡高等裁判所 昭和51年(ネ)21号 判決

控訴人(付帯被控訴人)

福岡県

右代表者

亀井光

右訴訟代理人

森竹彦

被控訴人

清水迪男

右法定代理人後見人

清水金増

被控訴人(付帯控訴人)

清水金増

同  (同)

清水ウシ

右三名訴訟代理人

古原進

主文

一  本件控訴に基づいて、原判決中控訴人(付帯被控用訴人)敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人清水迪男、被控訴人(付帯控訴人)清水金増、清水ウシの請求は、いずれもこれを棄却する。

三  本件付帯控訴は、いずれもこれを棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人清水迪男、被控訴人(付帯控訴人)清水金増、清水ウシの負担とする。

事実

(申立て)

一、控訴

控訴人(付帯被控訴人、以下、単に控訴人という。)

原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

被控訴人清水迪男 被控訴人(付帯控訴人、以下、単に被控訴人という。)清水金増、清水ウシの請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

との判決

被控訴人ら

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

との判決

二、付帯控訴

被控訴人清水金増、清水ウシ

原判決中被控訴人ら敗訴部分を取り消す。

控訴人は、被控訴人清水金増に対し金九七万六、九三一円、同清水ウシに対し金三五万円及び右各金員に対する昭和四二年七月八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

との判決

控訴人

本件付帯控訴を棄却する。

との判決

(主張)

当事者双方の主張は、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(証拠関係)〈略〉

理由

一本件殺人事件の発生と捜査経過の概要

請求原因1記載の本件殺人事件の発生と同2記載の捜査経過の概要とについては、当事者間に争いがない。

二被控訴人らの主張の要旨

被控訴人らは、福岡県警視滝茂を本部長とする捜査本部の捜査官らが迪男を本件殺人事件の真犯人と断定して、その旨公表した行為が違法かつ有責であると主張する。

三捜査本部の行つた公表の違法性の有無

1  捜査本部が昭和四二年(以下、特に明示しない年はすべて昭和四二年である。)五月一二日報道関係者に対し迪男を本件殺人事件の真犯人である旨公表したことは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、翌一三日ないし一九日の新聞には、捜査本部が「現場近くの無職者A(二七)」あるいは「大牟田市天領町に住む二七歳の男A」を本件殺人事件の犯人あるいは容疑者と断定したこと、並びにAなる男は「自分の名前が言えないほどの重症精薄者」あるいは「知恵遅れの男」であることが報道された事実を認めることができる。

右新聞報道によると、迪男を知つている者あるいは天領町付近に住む者にとつては、Aという男が迪男であることを推測することは容易であると考えられるので、捜査本部の報道関係者に対する右公表により、迪男が本件殺人事件の真犯人であるとの事実が新聞等を通じて一般に公表されたものと認められる。

2  ところで、警察官が特定人を特定の刑事事件の真犯人である旨公表した行為がいかなる要件のもとで違法性を帯びるかについて検討するに、その公表内容が特定人の刑事事件に関する事柄である以上、その公表自体によりその人の名誉が侵害されるのであるから、刑法第二三〇条ノ二の趣旨に照らし、①公表の内容が公共の利害に関することがらであつてその公表がもつぱら公益を図る目的に出た場合であり、かつ、②公表された事実が真実であるか、仮に真実でなくても公表者において真実であると信ずるについて相当の理由があつたと認められない限り、その公表は違法性を帯びるというべきである。

刑事事件の発生とその内容とは、公共の利害に関することがらであり、刑事事件の捜査を行う警察官が報道関係者に事件の発表を行うことは、特段の事情のない限り、もつぱら公益を図る目的に出たものと認めるべきであるから、本件の場合前記①の要件は充足されており、本件において問題となるのは前記②の要件である。

そこで、公表された事実が真実であつたか否か、仮に真実でなかつたとしても公表者において真実であると信ずるについて相当の理由があつたか否かについて判断する。

3  捜査本部が迪男を本件殺人事件の真犯人である旨報道関係者に公表した五月一二日までに収集していた証拠のうち、本件において提出されているものは、次のとおりである。〈中略〉

4  以上のとおり、迪男と本件殺人事件とを結び付ける重要な証拠は迪男本人の供述のみであり、他にはとりたてて有力な証拠は見当たらない。

そこでまず、迪男の供述の任意性及び信用性の有無について検討する。

(一)(1)  〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

四月一三日午前一〇時二〇分ころ、生島甚六警部補が大牟田市右京町右京中学校正門前においてかねて内偵中の迪男を発見し、大牟田警察署に同人を任意同行して事情聴取を始めたところ、午前一一時四〇分ころから断片的に本件殺人事件に関連のありそうなことを供述し始めた。迪男が精神薄弱者であるため、同日午後三時ころから迪男の実兄の清水恭一を立ち合わせたうえ、生島甚六警部補と江崎久雄巡査とが事情聴取を始めたところ、迪男は、実兄に対し、「おこらんな、おこらんか」と数回念を押し、実兄から本当のことを話すように告げられ、安心したように笑を浮かべ、以下の諸動作、すなわち、被害者をつかまえる、押し倒す、手で首を絞め、次にバンドで首を絞める、パンツを脱がせる、被害者を川へ投げ込むために抱え上げるなどの動作等を交えながら、犯行の状況を話したが、実兄の恭一は、右供述について、「弟は嘘を作つて言う人間ではないので、本当と思います。」と述べている。

八島秀雄警部補は、迪男が本件殺人事件に関係のあることを供述し始めたので新たな感覚で事情を聴取するようにとの指示を受け、迪男の供述に関し予備知識を持たないで、午後六時ころから録音テープに録取しながら迪男から事情を聴取したが、その供述の要旨は次のとおりであつた。

「ずつと前の日の朝、竹を切りに鉄橋のところへ行つたとき、二つある線路の真中で(地図を書いて場所を示し)、学校へ行つている女と出会つた。女は鞄と手提袋を持つていた。僕が女の肩の方を押して倒した。そして、首を、両手でギユーと絞め、次に女のバンドでギユーと絞めた。それから、パンツの下の方(裾)を引つぱつて脱がせた。チンチン(陰部)には毛がなかつた。そして、女を抱えて川にドブンと投げた。そのあと、鞄、手提袋を次々に川に投げた。パンツを投げたらひつかかつたので、石を投げて川に落とし沈めた。」

更に、録音テープに録取されている八島秀雄警部補の質問とこれに対する迪男の答との一部を断片的に抽出すると、次のとおりである。

「……(前略)……

(問) 誰が来たと。

(答) おなごや。

……(中略)……

(問) なんと、なん持つとつた。

(答) カバンとね。

……(中略)……

(問) うん、カバンわかつた。カバンわかつたからね。言つてごらん、もう一つ持つとつたちいうのは、何持つとつたん。

(答) 袋たいね。

……(中略)……

(問) そこでどうしたね。

(答) こう押し倒しよつた。

……(中略)……

(問) この学校に行く女の人たいね。そのぐーと押し倒してね、それからどうしたんね。それからどうしたん。

(答) ……

(問) うん、言つてごらん。口で言わんとわからんよ。

(答) ぐーと絞めた。

……(中略)……

(問) うん、どこをね。

(答) ここ。

(問) どこ、それ。そこはなんね、それ。ここはなんね。

(答) ここたい。

(問) そこはなんね。それ。そこなん。

(答) 首たい。ギユーと。

……(中略)……

(問) うん。それから、どうしたんね。首をぐーと絞めてから。その両方ん手でギユーと首を絞めたん、押し倒してね。うん、それから。そいで、その両方ん手でね。ギユーと首をね、押さえつけて絞めた。

(答) うん。

……(中略)……

(問) こんだ、なん、どうしたんね。それから、どうしたんね。今度、両方ん手でギユーと首絞めたろ。それから、それから、どうしたんね。うん。それからどうした。

(答) ギユーと絞めた。

……(中略)……

(問) なんで絞めたね。なんね。うん。その、なんで絞めたん、それは。うん、なんで絞めたん。

(答) バンドで絞めよつた。

……(中略)……

(問) なんて、はつきり言わにやいかんよ。誰のバンド。うん。誰のバンド。誰のバンドか、それや。

(答) おなご、バンドたい。

……(中略)……

(問) うん、絞めてから、どうしたん。

(答) ギユーと絞める。

(問) ギユーと絞めてからね。

(答) うん。

(問) どうしたんね。うん、……(中略)……。その、それからどうしたんね、それから。いや、言うてごらん。

(答) パンツ、こうしてぬげた。

(問) なにを。パンツ、パンツをぐーと引き脱いだ。

(答) うん。

(問) うん、スーと抜けたね。

(答) シユーと抜けた。

……(中略)……

(問) 毛がどうやつたね。うん。生えとつたね、生えとらんね。

(答) 生えとらん。

……(中略)……

(問) そして、女のあすこを見て、それからどうしたんね。それから。

(答)……ドンブち、やつた。

……(中略)……

(問) 抱えて、ドボンち、やつた。うん、どこにドボンち、やつたと。

(答) ここたい。橋。

……(中略)……

(問) 水がいつぱいあつたね、どんくらいあつた。いつぱいあつた。

(答) こしこたい。

……(中略)……

(問) どうしたね、そのカバンやら。

(答) カバン、ジヤブンて。

……(中略)……

(問) 投げた。投げたら、そのパンツはどうなつたね。パンツはどうなつたね。パンツをポーンと投げたろ。

(答) うん、投げた。

(問) 投げたらどうなつたんね。そのパンツは。どうなつたん。

(答) ひつかかつて。

……(中略)……

(問) パンツは。

(答) パンツやら……ひつかかりよつた。

(問) ひつかかつた。うん、どこにや。

(答) ……

(問) どこにひつかかつたん。

(答) 橋んとこ。ここで、鉄橋んとこ。

……(中略)……

(問) うん、パンツにひつかかつて、どうしたんね。どうしたね、どうしたの。

(答) まいつちよ投げた。

(問) まいつちよ、まいつちよ。

(答) 石投げたつ。

(問) うん、石投げた。

(答) うん。

(問) うん、石投げて、その、パンツ投げたん。

(答) うん、パンツに投げた。

(問) それから、その石はパンツに当たつたね。

(答) うん、当たつとる。

……(中略)……

(問) その女の人は、あの、何か、靴下はいとつた、靴下。

(答) 靴下はいとる。

……(以下略)……

(なお、この取調べの後半において、迪男は、犯行時の模様を再現しているけれども、その内容は、同人が供述した内容と一致している。)」

八島秀雄警部補は、右認定の問答からも明らかなとおり、右取調べに際し、答の内容を全く暗示誘導することなく、根気強く質問を繰り返しているだけであり、迪男がこれに対し、断片的に「おなごや。」、「カバンとね。」、「袋たいね。」等と回答している。

(2)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

四月一四日午前一一時三五分から午後零時三五分までの間、犯行の状況を明らかにし、証拠を保全するために、本件殺人現場と思われる地点(国鉄鹿児島本線諏訪川鉄橋南側の上り線と下り線の間の地点)付近において、迪男と同人の母である清水ウシとの立会いのもとに実況見分が実施された。右実況見分は、迪男宅を出発し、諏訪川の南側堤防伝いに前記地点に至るまで行われたが、迪男は、竹を切つた場所、船津中学校、大橋商事諏訪川工場、諏訪川鉄橋及び船津橋を的確に指示した。更に、本件犯行現場と思われる地点において、迪男は、被害者を仮装した八島秀雄警部補を相手にして、前日と同様犯行時の模様を再現した。

この見分に際しても、暗示や誘導は全く行われていない。

(3)  〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

四月二五日大牟田警察署に迪男の任意出頭を求めたうえ、精神科医師辻敬二郎、児童相談所勤務の心理学技師岡本健二立会いのもとに、午前一〇時三五分から午前一一時三〇分までの間迪男の取調べが実施された。

この取調べに際しては、迪男は四月一三日と同様の供述をするとともに、被害者が左手に鞄を持つていたこと、首を絞めるとき被害者がバタバタあばれたこと及び川に投げ入んだとき川に水が一杯あつたことを新しく供述し、四月一三日と同様犯行時の模様を再現した。

なお、その際、被害者の顔写真、被害者が持つていたものと同種類の鞄、被害者の手提袋、バンド、パンツ及び靴下をそれぞれ他の類似品とともに示して摘出させたところ、迪男は、一つの誤りもなく即座にかつ的確にそれらの品物を摘出するとともに、被害者の着用していたパンツの型を正確に説明した。

この日の取調べに際しても、暗示や誘導にわたる質問はされていない(現に、前記辻敬二郎及び岡本健二の両名は、警察官の聞き方が暗示をかけたり誘導にわたつたりするようなものではなかつたと当審において証言している。)。

更に、右両名は、①迪男は痴愚に属するが、痴愚以上の能力があれば、防衛、攻撃ともに可能であり、犯罪も敢行できること、②迪男の能力からみて、直接経験したり強く印象を受けたことでないと具体的に供述できないこと、③その供述能力の低さから考えて、犯行再演動作や被害者の所持品等の選出行為は信用できること、④特に、パンツの型というような隠された部分の指摘は直接経験に基づくと考えられること、⑤迪男の能力からすると、嘘を言つたり、人を騙したりすることはできないこと、以上の諸点を理由に、当日の迪男の犯行を認める供述、犯行再演行為、被害者の所持品等の選出行為について、いずれも信用性が高いと供述している。

また、岡本健二は、迪男が性的方面の反応を示した旨供述している。

なお、〈証拠〉によれば、迪男は、二月七日午後四時ころから約三〇分間被害者の死体引揚作業を目撃した後帰宅したことを認めることができ、この事実と後記認定の被害者の遺留品の発見時刻(二月七日午後五時三〇分過ぎ)とを合わせ考慮すれば、迪男は、右遺留品が発見された時刻には既に帰宅しており、遺留品を見る機会はなかつたものと推認される。

(4)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

迪男の精神鑑定を命じられた聖ルチア病院長柴田出は、次のとおり診断している。

迪男は、意識障害はないが、精神薄弱者特有の無欲状で遅鈍な、表情に乏しい顔貌をしており、恣態は鈍重で、問に対する反応も遅く、かなり強い刺激に対して初めて反応することも多く、注意力も乏しくこれを持続させるのは困難であり、記憶力、記銘力はある程度保持しているが、感情の起伏に深みのないことが目立ち、周囲の事物、出来事に応ずる感情反応も乏しく、この結果だけからみても明白に精神薄弱であることが判明する。

そして、WAIS知能診断検査では動作性IQ三八、言語性IQ二二、田中ビネー式知能検査ではIQ二一であり、これらの諸点からみると、迪男は、精神薄弱の痴愚に属し、知能年令でいうと三歳ないし三歳半程度の精神能力しか有しない。

迪男は、性的な面における欲動の抑制も乏しく、卑猥な行為を働きかけることは可能であり、事物の是非、善悪を弁識する能力は極めて低く、この弁識に従つて行動する能力も極めて低い。

迪男は、簡単なことなら繰り返せば覚えることができるけれども、連結した多くのことを覚えることはできず、迪男が四月一三日及び二五日に供述したことを警察官が覚えこませることはできない。

〈証拠〉によれば、鑑定人柴田出の質問に対して、警察におけるのと同様犯行時の模様を再現するとともに、被害者と他の四人の女学生の写真の中から即座に被害者の写真を摘出している。

(二)  以上認定の諸般の事情を勘案すると、迪男の供述並びにこれに付随する犯行再演行為及び被害者の遺留品摘出行為の任意性及び信用性は、同人の精神能力を考慮しても優にこれを肯認することができる。

なお、〈証拠〉によれば、迪男は、勾留中弁護人と面接した際、鑑定留置中鑑定人柴田出の診察を受けた際及び原審において本人として供述した際、本件殺人を犯したのは自分ではなく第三者であり、自分はそれを目撃していた旨供述していることが認められ、また、原審証人東野マツ及び村山はつえは、四月末ころ迪男と遭つた際、迪男が額のところに右手を当てズボンのバンドに左手をかけて、「このバンドあろうが、あれでしたつばい、あのおつちやん悪かばい、あれ牢屋に入れないかん。」という趣旨のことを述べた旨証言していることが認められる。

しかしながら、〈証拠〉によれば、前記供述をするかたわら、本件犯行を自認するような供述をも行つている〈証拠〉によれば、迪男は、首を絞めた時、被害者が「ハアー、ハアー」と声を出したとか、「助けてち」といつた旨供述している。)ことが認められ、〈証拠〉によれば、迪男は、五月二六日と七月七日に検察庁において、警察におけるのと同様の供述をし、第三者の存在については何ら触れていないことが認められ、更に、迪男が被害者の死体引揚作業を目撃していたことは前記認定のとおりである。

これらの諸事情を考え合わせれば、右死体引揚作業の目撃状況と本件犯行とが一体となつて「みた」という供述になつたのではないかと推測されるのであつて(現に、鑑定人柴田出は、〈証拠〉にその旨記載している。)、犯行を否認する迪男の右各供述を考慮に入れても前記任意性及び信用性の判断を左右するに足りない。

5  そこで次に、迪男の供述以外の捜査本部が収集していた前記各証拠について検討する。

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

福岡県失対荒木班で働いていた小柳キリ子(当時四三歳)は、二月七日午前八時四二、三分ころ船津橋西方の諏訪川北岸から、同橋南端から西方約五メートル諏訪川南側堤防沿いの竹藪付近から男が突然立ち上がるのを目撃した。距離が約一〇〇メートル離れていたために詳細はわからないものの、その男は、紺色か濃茶の様なジヤンバー(ボタンのあたりがピカピカ光つていた。)を着用し、年令は二五歳から三〇歳位、身長は約1.60メートル、体格は普通、顔は丸顔様、頭髪は前の方が少し長く立つた感じで油気がなくばさばさした感じであつた。その男は、左脇下に小さな風呂敷のようなものを持つていたが、それを右手に握り替え、前記南側堤防を下流に向かつて歩きながら左手で石のようなものを諏訪川に投げ込んでいた。

小柳キリ子は、右供述に際し、迪男の写真を含む七枚の写真の中から、同女が目撃した男と顔の輪郭、体つき等が似ている人物として迪男の写真を選び出した。

(二)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

仏石律子(船津中学二年生)は、二月七日午前八時二三ないし二五分ころ自宅を出て通学途中、船津橋中央付近にさしかかつた際、諏訪川鉄橋の南側の鉄橋下付近で「ドブン」という音がするのを聞きそちらに目を向けたところ、鉄橋の下の水面上約一メートルのコンクリートにひつかかつている土に汚れたような白い布、右コンクリートから約一メートル離れた水面に北の方を向いて浮かんでいる学生鞄の把手部分、右鞄の周辺に輪を作つている波及び右鞄の真横に沈みかけたような何か黒いものを発見した。更に、同女は、前記白い布めがけて一つの石が投げられ、見事に命中した右石とともに白い布が水面に落ち、沈んでゆくのを目撃した。

そして、同女は、船津橋を通り越して五、六メートルの地点から、上り線と下り線の間の川の端から約一メートルのところに男の人の額から上だけを目撃し、更に、約二〇メートル歩いて振り返つた時、男の人が線路から道に出て船津橋を線路沿いに北の方に走つて行く後姿を目撃した。

同女が船津中学校に到着したのは、午前八時四七分ころであつた。

〈証拠〉によれば、仏石律子は、額から上だけを見た男の髪形について、頭は長いハイカラで前髪をたらしており、後姿を見た男について、年令二四、五歳、身長約1.65メートル、体格やせ型で、青い明かるい色のオーバーを着用した一見サラリーマン風であつたと供述し、〈証拠〉によれば、同女は、額から上だけを見た男について、よく注意していなかつたので正確なことは言えないが、髪が長いように記憶している程度で、本人を見せてもらつてもわからない旨、また、後姿を見た男について、コートかオーバーのようなものを着用していたが、色とか柄とかについては明確でない旨供述し、更に、〈証拠〉によれば、同女は、迪男の髪形と額から上だけを見た男の髪形とは違つていたように思う旨供述していることをそれぞれ認めることができる。

〈証拠〉によれば、同女が父の仏石均に対し、額から上だけを目撃した男の髪形について、若い男で頭の髪が同女の父の髪のように少し長く上向きに伸びているようであつた旨、目撃した日に語つていたことを認めることができ、更に、〈証拠〉によれば、同女が学校についてすぐ級友に、どんな人相の男であつたか見なかつた旨話していたことを認めることができる。

以上のとおり、仏石律子の額から上だけを目撃した男の頭髪に関する供述にはあいまいな点があり、また、後姿を目撃した男に関してもその特徴に関する供述は必ずしも明確でなく、同人の供述からは、額から上だけを目撃した男と後姿を目撃した男とが同一人物であるか否かも定かではない。

(三)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

大福商事諏訪川工場において工員として働いていた中川洋子、藤井和子及び田中悦子の三名は、二月七日午前八時三五分ころ同工場内から窓硝子越しに、仏石律子が男の額から上だけを目撃した地点あたりで、一人が倒れ、その上に黒つぽい服を着た中学生か高校生のような男がかぶさるようにして喧嘩をしているような状況を目撃した。

同女らが目撃した地点と二人のいた地点とは約八〇メートル離れており、かつ、見通しの不十分であつたため、黒つぽい服を着ていた男の特徴ははつきりしない。

なお、これよりも五分ばかり前に、中川洋子は、諏訪川鉄橋の北側の線路を西から東に向けて走つて横切る黒色の上下服を着た一五歳位の男の子を目撃している。その人物は、身長は約1.5メートル、体格は普通、頭髪は坊主頭でなく若干伸びた感じであつたが、その特徴ははつきりしない。

(四)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

二月七日午後四時少し前天領橋下の諏訪川内で被害者の死体が発見されたため、当日午後四時一五分から午後六時三〇分までの間実況見分が実施された。

死体は、右側を下にして横向きになつており、頸部から顔面にかけて皮製のバンドがかかり、頭を下流に向けていた。着衣は、紺のセーラー服の上に学生用紺色オーバーを着用し、布製黒手袋、黒色ストツキング及びソツクスを着用していたが、パンツと靴とは着用していなかつた。オーバーのボタン二個のうち一個がはずれて上部はまくれたようになり、スカートはまくれて大腿部の一部を露出し、右手袋と右ソツクスとは半ば脱げかかり、オーバー両肩部と顔面とには川底のものと思われる泥が付着していた。天領橋の上から見ただけでは、パンツをはいているか否か識別できず、また、バンドの判別も困難であつた。

当日午後五時三〇分過ぎに、諏訪川鉄橋の南側の鉄橋下の川底に、被害者の表向きのパンツ、黒革靴一足分、手鏡一個、櫛一本、手提袋(ズツク製ぞうり袋)一点、白運動靴一足、筆入れ一個が発見された。

右遺留品発見地点付近の諏訪川の幅員は約五〇メートルであり、右地点の上流約八〇〇メートルのところに井堰があるため、現場付近の干満の差は激しく、満潮時の水位は、両岸寄りの最浅部で1ないし1.2メートルであり、干潮時には両岸寄りの五ないし一五メートルは干潟となつて黒くどろどろした川底が現われる。

実況見分時は干潮であつたため両岸には川底が現われていた。

なお、右遺留品発見現場と死体発見現場とを結ぶ周辺一帯の見分が行われたが、前記発見物のほか、足跡、被害者をひきずつた跡、その他の証拠資料は発見されなかつた(現在に至るまで被害者の鞄が発見されていないことは、弁論の全趣旨に照らし明らかである。)

〈証拠〉によれば、二月七日の満潮は午前八時四五分と午後八時二〇分とであつたことを認めることができる。

(五)  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

二月八日午前一一時一〇分から鑑定人井上徳治の執刀によつて被害者の死体が解剖されたが、その所見は、次のとおりであつた。

頭頂の後正中部に横に長い楕円形状、大きさ一〇×六センチメートルの腫脹があり、そのおおむね中心に円形、直径五センチメートルの淡赤色部がある。

前頸右上部には正中から右方に弓状を呈する帯状の皮内溢血点群があり、前頸左上部には正中から1.5センチメートル左方のところに型、帯状の皮内溢血点群があり、前頸右中部には正中からやや右寄りのところから水平に走る帯状の淡褐色表皮剥脱があり、右側頸部には、左耳下付根付近から下方に向かつて側頸中部に至る帯状の皮内溢血点群がある。

外陰部には暴行の痕跡がなく、処女膜は全く侵されておらず、精液検査は陰性であり、姦淫されていない。

被害者の死因は溺死であるが、右前頸部に索状性圧迫痕が認められるので、他為的行為が行われたものと推測され、胃内容の量、消化程度からみて最終食事後約一時間位のときに死亡したものと推測される。

なお、鑑定人井上徳治は、被害者の外傷は、迪男の供述内容と符合する旨供述している。

更に、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

被害者(船津中学二年生)の自宅は、諏訪川鉄橋南端から同川の南岸堤防に沿つて約三〇メートルの地点にあり、被害者は、毎朝右堤防上の小路を通り、鹿児島本線の線路を横断して船津中学校に登校していた。被害者は、二月七日午前七時三〇分ころ朝食をとり、午前八時二五分ころ鞄(中古品で、紺色のビニール製品で、高さ約二五センチメートル、横幅約三五センチメートル、両横にひだのあるもの)と手提袋(ズツク製ぞうり袋)とを持つて登校のため家を出たが、金員は所持していなかつた。

被害者の家と迪男の家とは約三〇〇メートルしか離れておらず、被害者は迪男をよく知つていた。

(六)  〈証拠〉によれば、迪男は、二月七日朝自宅を出たとき、黒のジヤンパーと鼠色のズボンを着用していたことが認められる。

〈証拠〉によれば、迪男が近所の幼児に対してパンツを脱がせたり性器に触れる等の卑猥な行為をしていたことを認めることができる。

更に、〈証拠〉によれば、迪男は、二月七日当時頭を丸刈りにしていたものと推認できるが、何分刈りであつたかについては定かでない。

〈証拠〉によれば、本件殺人事件が行われたと思われる時間に迪男は犯行現場以外の場所にいた旨の供述が存するけれども、右各供述者は、迪男の父、母及び姉であり、かつ、同人らの時間の点に関する供述には不明確な点が存在するのであつて、信用することができない。更にまた、〈証拠〉によれば、橋口ナへは、二月七日午前八時三〇分ころ本件犯行現場から五〇〇メートル以上離れた同女宅の近くを迪男がリヤカーの付いた自転車を引いて歩いていた旨供述していることが認められるけれども、〈証拠〉によれば、同女は、迪男を目撃した時間が何時であつたかはつきりしない旨供述していることが認められるのであつて、前記各供述も信を措くに足りない。

6 以上認定の諸般の事情、とりわけ、迪男の供述(これは付随する犯行再演行為及び被害者の遺留品等の摘出行為を含む。以下、同じ。)の任意性及び信用性が肯認できること、迪男の供述と仏石律子の目撃状況、被害者の死体及び遺留品の発見状況、被害者の解剖所見並びに二月七日の諏訪川の干潮状況とが矛盾なく一致すること、小柳キリ子並びに中川洋子、藤井和子及び田中悦子の各目撃状況、迪男が本件殺人事件の発生前に行つたいくつかの卑猥な行動、本件犯行の行われた時刻及び場所等の諸事情に加えて、額から上だけを目撃した男の頭髪に関する仏石律子の供述にはあいまいな点があること等の事情を考慮すると、迪男が本件殺人事件の真犯人であつたか否かはしばらくおき、少なくとも、捜査本部が迪男を本件殺人事件の真犯人であると信ずるについて、すなわち、公表された事実が真実であると信ずるについて相当の理由があつたものということができる。

したがつて、捜査本部が迪男を本件殺人事件の真犯人と断定してその旨公表した行為が違法であると主張する被控訴人らの主張はこれを認めることができない。

四結論

以上によれば、被控訴人らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。

よつて、原判決中控訴人敗訴部分は不当であり本件控訴は理由があるからこれを取り消し、被控訴人らの本訴請求はいずれもこれを棄却し、本件付帯控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法第九六条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(高石博良 鍋山健 原田和徳)

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